また、読んだ本の話。
わざわざことわる必要はないなとは思うけれど、三冊目まで読んであらためて感じたので書いておくと、いまわたしは夏休みです。
夏休み?20代より30代が近い、見てくれは子どもよりかは大人の人間のくせになにが夏休みだ?…とつっこみたくもなるものの、そういう時間を健全に夏にもうけるために四苦八苦して得たものなので、堂々と本を読んだ感想を書くことにします。
ちょっとは引け目を感じてた。だいたいの風潮に。まあそれがほんとうに「風潮」なのかはわからないけど。引け目がそう見せてるのかもしれない。
それにこれがベストとも思ってないし、今はこうでしかないから(おおかた精神的に)死にものぐるいでやりくりしてこうなってるけど、もう少し身近な人たちには還元していけたらな〜…とつねに思っています…。
『坂下あたると、しじょうの宇宙』、読むのは二回目だけど数年前のことで、今回読んでほぼ初見のような錯覚をしたので、そのつもりで書いておこう。
いちおう前の感覚でおぼえているのは、「おもしろかったー」と満足して読み終えたことと、その直後に人にすすめたこと。
(たぶんだけれど)タイトルが好きだったし、あとは主人公の語りがするりと入ってきて好みだった。
「おもしろかった」の中身はきっと、あまり積極的に触れたことのない「現代詩」がガッツリ物語の核に組み込まれているところで、わけがわからないけどわからないままでもしっかり結末まで連れていってくれる勢いがあった、という感じ。たぶんだけど。
現代詩がわけがわかんないわたしでも楽しめたから、他の人も楽しめる作品だこれは!と、思ってすすめてたんだったらいいな…わかんないけど…。
初見のように感じたのはおそらく、まず語り手の毅くんの見え方によるもの。前にどう見えてたか(「読みやすいー好みー」というのしか)覚えてないから比べようもないけど、今回読んだ時ははなから「えっ、毅くん、詩情にあふれてない?」と感じた。
詩情、という言葉がすらり浮かんだのはタイトルに「しじょう」とあるから。そうでないとそんな言葉は浮かばず、「なんていうの、毅くん、感じ方が…すごくゆたか…」となり、詩とはおそらく結びついてなかっただろう。
それに、毅くんはしきりに「わからない」としっかり感じていた。
あたると毅くんの間に横たわる、彼らだけが感じられるもののひとつの要素として、毅くんの詩情と「わからない」(この二つはばらばらでもあるし、時にひとつにもなる)があるんだろうな。
ところどころ残酷に、文学への「一般的な」ツッコミが入っていて、それはぐさぐさきた。やっぱりヘンなことはヘン、でもそれを矯正するんでもなく、根っこにあるものを抱えて突っ走っていく彼らが気持ちよかった。
物語のつくりとか、毅くんとあたる以外の登場人物とか、いろいろおもしろいなーとはたしかに思ってるのやけど、そのへん言葉にするには町屋良平さんの本をほかにも読んでみたほうがいいような気がしてる。