どどど

だっしゅつ

夢をみるような

 

 気付かぬうちに、左手の中指の、薬指に当たる側の、爪の横あたりが、タテに数mmだけ切れていて、痛いので、軟膏を塗って絆創膏でふたをした。
 痛い、と思ったのは昨日の夕方だったはずで、でもそのときはまだ傷と認められるほど割れておらず、よくわからなかったのと疲れていたのとで忘れてしまった。そのあと何度も、ちくっと痛んでは思い出し、忘れて、じょじょに傷らしくなって、「できれば休みの間に治るといい」と思って、ようやく手当てをした。
 キーボードのキーが、打ちづらい。キーに中指の触れている感覚がなく、キーと中指のあいだに絆創膏があるので、ごつごつしている。

 先週、香水を買った。おそらく夏ごろにほしいと思った香りで、ルームスプレーあるいはファブリックスプレーでもなく、ディフューザーでもなく、どうやってもオードパルファムがよかった。
 ふだんのことを思うと、現実的でない買い物だった。自分が自分で意外で、自分ですらわかっていないところが必要としていて、ちょうど、贈り物の時期でもあるし、買うことにした。
 現実的でない、というのは、夢をみるような、といったほうがよくて、質量のある実体のある本だとか、それも実際電子ではなく紙で、そのほか指輪やなにかのかたちをもとめることの多い自分が、それでいて周りにあるものの気配と溶け合うような時間を過ごしたがる自分が、瓶から出れば気体となり、それでもいつでもその香りを纏うことになる香水を買うというのは、なにかずいぶん、不思議なことのように思えた。
 いっぽうで今あらためて香水というものに対して思いを巡らしてみると、香りであるから、ある種なにか食べものを、特におやつを食べたいと思うことと近く、それでいてまた、本やなにか作られたものは実体があったとしてもそこに実際なにがあるかはわからないわけで、それでもそれらを頼りにしているので、あまり変わらないのか他のものと香水も、と思った。

 むさぼるように、すがりつくように、本を読んでいた時期を、懐かしく感じていた。そのようには読んでいないことが淋しくもあった。
 ふと、そのときと近い感覚が訪れた。
 そのときもそうだったかは知らない、が、今回は「旅だ」と感じていて、心の旅、という短い言葉が浮かんだ。
 どこか遠くに行きたい、あるいは行ってしまいたいけれど、どうしても、それができないとき、ページをめくって文字を目で追う。
 そこに書かれていることがほんとかうそか、たしかめようもないけれど、文字から立ち上がってくるものを感じているあいだ、わたしは確かにそこにいて、そのなかで、かなしみの色や外の空気や人のあたたかさを味わっている。
 ふっ、と何かの拍子に本から顔を上げたとき、目の前の現実では日が暮れているくらいで、苦しみのもとや実際の生活が変わってくることはない。ただそこに、ひとつわたしの知らない景色が差し挟まれる。
 心は自由、ということを、思い出す。

 まだまだ、じゅうぶんにあらわせていない。
 つぶさに見ているようで、ピントが合わない。
 もどかしい。