どどど

だっしゅつ

『発酵文化人類学』

 

 

 

 知ってるようで知らなかったことだらけだった。

 いきなり世界の見え方がぐるりと変わる、完全に変わる、あらゆるところに発酵や微生物を絡めて考えるようになる…ほど、人間は単純にできてなくて、習慣に引っ張られてはいる。読み終わって日常生活に戻ってからは、結局、目に見えないもののことは気にかけていなかったなと思うけれど。それでも、この本を読んでいる間、思い浮かべていた景色たちは、普段よりももっと…あまり使い慣れない言葉だけど…ミクロだった。

 

 アルコールに強くないわたしからすると、お酒を嗜めるひとが味わっている感覚に憧れがある。ワインは綺麗だし、日本酒をお店で注文したり贈り物にしたりしているのは「大人だなぁ」と思うし、一日の終わりにビールを飲むと決めて働く人にはエネルギーがまだ飲んでないビールから充電されているような感じがする。…ワインは綺麗、っていうのが投げやりだな…。付け足したいけど「綺麗!素敵!憧れ!」の塊だとやっぱり思う。

 アルコールでなくたって他のものでももちろんそういう愉しみはある。深く知らないから余計、いいなぁ、と羨ましくなるんだろう。

 そういう気持ちを日々(知らず知らず)抱えているわたしにとって、「発酵文化人類学」という観点から「お酒」をみることができたのが、うれしかった。

 どうやってお酒は作られるの?いつから作られていたんだろう。味が違う、香りが違う、それってどうして?…実際のお酒がそれぞれどんな味でどんな色をしてどんな香りなのかは、そりゃあ味わってみないとわからないけど。いろんな方が、お酒を通して楽しんでいるものを、少し、垣間見ることができた。

 ひとつ、疑問が解けたことがあった。ぶどうジュースは甘いのに、なんでワインは甘くないんだろう、と思っていた(ホットワインみたいなのを作ろうとした時に思った)。そうしたら、発酵するときに酵母がぶどうの糖分を食べるから、とあって、「そっか〜!」となった。その時に頭には、ぶどうの糖分を食べてアルコールにかえる微生物、がぼんやり浮かんだ。ごはん食べて働いてる、みたいなものなのかも、と思ったし、そりゃ食べたらなくなるわな〜、と思った。

 

 「発酵文化人類学」というのは、著者の小倉ヒラクさんによって「発酵」と「文化人類学」が結びつけられたもの。

 どっちにしても、わたしの専門(といえるものがあるか不安ではあるけどひとまずあることにして)分野ではない。「文化人類学」はまだ文系で遠くない感じはする、が、「発酵」の説明の要所要所で化学式やら微生物やらが出てくる。高校は生物しかやってないわたし(化学か中国語という選択で中国語を選んだ)。

 そんなとき、中学校の理科の教科書が思い出された。中学校までそういえば理科はわりと好きだったなぁ、と今になって感じる。学問として研究の道に進むとか、職業から逆算して理系に辿り着くということとかが無かっただけで。

 その、中学校まで(生物は辛うじて高校まで)の理科の知識をどんどこどんどこ引き出してもらいながら、脳を隅々まで使いながら、読んでいた。

 息切れしまくりではあったけど、楽しく読めたのは、そもそもの切り口が身近な「食べ物」だというのと、「文化人類学」という(専門ではないが)文系の考え方もメインであること、この二つが大きかった。

 化学式が出てきたのは、ヨーグルトやビールの発酵のプロセスを説明するところ。想像のつかないものについて、わたしがあまり詳しくない化学式を見たとしても、左から右に何が起こっているのかつかみにくい。けど、ヨーグルトは酸っぱいし、ビールは泡がシュワシュワしてる。そういう性質を知っているから、「あー!ここでシュワシュワができるのかぁ」と、化学式であらわされていることが、実際の出来事としてイメージされる。

 それと、史料に残る「発酵文化」や、「人間の営み」についての記述が、そういう理系の話と並んで出てくる。宮沢賢治の童話や、風土記が引用されてたりすると、「!」と前のめりになって読んだ。言葉はすきだ。そのほか、前から名前だけ知っていたレヴィ=ストロース。フランスの文化人類学者なのか。気になってた人物のことを少し知れてうれしかったし、今回の取り上げられている内容に関連したレヴィ=ストロースの著書を読んでみたいと思った。

 枠組みのスケールを伸び縮みさせて、既にある考え方を「発酵」に当てはめて、不思議を紐解いていくさまに、わくわくした。学問ってこうやってやるんやなぁ…と(やっと)思った。

 

 ぼーんやりと、でも、心の底では不思議に思っていたことや、当たり前だと思って知ろうともしてなかったことについて、ぎゅっと学ぶ時間だった。

 たぶん本のつくりとか参考文献のまとめ方とか文章の組み立て方とか、そういう「読み手への心配り」もものすごいんよなこれ…と思ってる。著者の方の頭の中とそれを実際にやってしかも他の人に伝わるように外に出すところまでいってるの、全部途方もないことなので、ものすごいことだな…と思ってる。

 

 本で読む、っていうのは、どうしても文字を通じて脳で情報を繋げてって、みたいなのが大きい。その時わたしは基本的にじっとしてる。そこから実際に手や足を動かして、なにか行動にうつしていくまでに、ちょっと時差があると感じる。だから、この本を読んですぐに「それじゃわたしも手前みそ仕込んでみようかしら」とは(わたしの腰が重いだけな気がしてきたが)なってない。けど、スーパーに行って、ヨーグルト買ってみたり、いつもの味噌を改めて見てみたり、そういう時間はあった。参考文献のなかで気になった本もある。こういう「波紋」のようなものが、ゆっくりゆっくり起こっていって、「発酵文化人類学」がまた別の何かと結びついていく時が、楽しみ。